これまでの大麻取締法
- この法律における「大麻」とは、「大麻草(カンナビス・サティバ・エル)及びその製品であり、樹脂はこれに含まれ、成熟した茎と種子及びその製品が除外されること」が規定されている。成熟した茎と種子から抽出したCBD製品、七味唐辛子に麻の種が使われるのはこの法律に規制されていないためである。
- 大麻の輸入・輸出・所持・栽培・譲受・譲渡・使用等並びに大麻から製造された医薬品の施用,施用のための交付等を禁止。
大麻草という植物
よく、「昔、日本は大麻合法だった」という言葉や話を聞いたことはありませんか?
確かに、1930年ごろまで日本では大麻栽培が盛んに行われていました。
しかし、日本には、伝統的に「大麻草」を吸引するという文化はありませんでした。1880年台後半ごろ、当時の日本は、ドイツ医学を模倣しており、日本国内における医薬品の規格基準書として「日本薬局方」という本を発刊しました。その本には、薬用としての大麻「印度大麻」「印度大麻エキス」「インド大麻チンキ」などが掲載されており、海外から輸入されてきた大麻は「印度大麻」として喘息や鎮痛薬として薬用に用いられていました。
当時の日本において大麻草とは、古来から長きに渡って様々な用途で使用されてきた植物のことで、繊維や神事によく使われていました。
日本が第二次世界大戦でアメリカに敗れるまでは、日本には大麻草が自生しており、人々に暮らしの一部になっていた大麻草は、産業用の大麻で、精神活性作用をもたらすTHC(テトラヒドロカンナビノール)という成分の含有量が少ない品種でした。産業用大麻は、大麻草の茎から「精麻」と呼ばれる繊維を取り出して使われていました。主な使用用途は、お正月に飾るしめ縄、神道の儀式、下駄の芯縄、麻紐、花火の火種としての麻炭、国技大相撲の横綱などが挙げられます。
更に、近年では、欧米諸国をはじめとし医療の面でも「大麻草」という植物は注目されており、現在進行形で数々の研究がなされています。「大麻草」に含まれている天然の化合物 CBD(カンナビジオール)はWHO(世界保健機関)に安全性や依存性が無い、という評価をされております。
日本における大麻草の歴史的背景
戦前、日本では大麻草が盛んに栽培されており、下駄や服、食用の種など当時の日本人の生活の助けになっていました。
1919年:1912年に行われた第一回アヘン会議により、アヘン、モルヒネ、コカインの乱用の禁止決議
1925年:第二回アヘン会議により、印度大麻の医療・学術目的のみの使用制限、輸出入や不正取引の国際的規制
1930年:麻薬取締規則(内務省令17号)が制定され、初めて国内で大麻草が麻薬に指定された
1948年:第二次世界大戦後、GHQにより大麻取締法を制定。
1952年:大麻草の定義が「大麻草及びその製品」と改められ、大麻草の種子は規制の対象外とされた。
1990年:培・輸入・輸出・譲渡し・譲受け・所持等についての営利犯加重処罰規定、および、未遂罪、栽培・輸入・輸出についての予備罪及び資金等提供罪、周旋罪等が新設された。
2021年:厚生労働省は、大麻成分を吸引する可能性がある大麻農家への配慮から従来規定されていなかった大麻の「使用罪」を本法に追加するべく有識者による検討会を開始。医療大麻についても検討するとしており、医療用については将来認可される可能性が出てきた。
第二次世界大戦後、GHQにより、「日本国内から大麻草という植物を絶滅させよ」という命令が降りましたが、高度経済成長期における化学繊維の台頭まで、当時の日本国内における産業用大麻は非常に大切な産業の一つだったため、当時の大麻農家さんたちを守るという目的で現在の大麻取締法ができたのです。つまり、日本における「大麻草」の伝統文化を残すため、設立されたといっても過言ではありません。そのため、現在のこの法律では、「使用」に関して規制されていないのです。なぜなら、大麻農家さんたちが不本意で大麻を摂取してしまう可能性があるから。
これからの日本における「大麻草」の立ち位置
世界中で、急速に動いている合法化運動。しかし、日本では「使用罪」の設立の可能性。
世界の動きと逆行している日本。借金大国、日本。今ではもう先進国とは言えません。
根拠も何も無いのですが、日本での「大麻草」における取締緩和はここ10年以内に何かしら変わるのでは無いか、この日本を変えるきっかけに、この「大麻草」が関わってくると筆者は考えております。